今月の言葉2012年 バックナンバー
今月の言葉(4月)「真心」
今まさに春うらら、花咲き鳥鳴く好季節です。また、新しい年度の始まりです。フレッシュマン達の夢と希望へのスタートです。
しかし、一年程前の東日本大震災は未曽有の衝撃を与え、日本人全てが悲嘆にくれました。一日でも早く夢や希望に向かって復旧・復興し、被災された方々が平穏で楽しい日常生活を送られることを、国民全員が願っています。そんな中で、多くのメディアが伝えていたことがありました。それは「人と人が心を一つにし、手と手を取り合い、共に助け合う日本人の姿に、世界の人々は驚きをもって賞賛している」ということでした。
この大震災は、悲しみの一方で、私たちが忘れかけていた日本人の心を思い起こさせてくれているように思います。それは、優しさや思いやり、弱者の立場において考え行動する美しさなど、みんな先人達が大切に守り伝えてくれた「真心」です。
私達は子供の頃に聞いた昔話、心を一つにして鬼退治する桃太郎の話や、正直さを教える花咲か爺さんの話などが、心の奥底にしみ込んでいるのかもしれません。また、江戸時代の俳人、加賀千代女にもこんな句があります。「朝顔につるべとられてもらい水」これは「朝早く起きて水汲みにいったら、朝顔の蔓がつるべに巻きついて、水を汲むことができない。そっとそのままにして、必要な水はご近所から分けてもらう。」という、美しさの中に優しさが光る一句です。また、小林一茶も「やせ蛙負けるな一茶これにあり」と詠みました。「痩せたカエルよガンバレ、負けるな、私がここについているぞ。」と、弱者に味方する判官びいきを感じさせます。
確かに夢や希望を持って一所懸命に努力する、本当にすばらしいことですが、この先人達の大切な味わいや教えを忘れてしまっては意味がありません。みんながそれぞれの立場で、この「真心」を今一度思い起こし、家庭にあっても仕事社会においても、心から協力し合い平和で楽しく豊かな社会を目指し、努力して行こうではありませんか。
(文責:二本なぎさ)
今月の言葉(3月)「選択と集中」
奥羽の英雄伊達政宗といえば独眼竜の異名をとった戦国大名の雄であること、皆様よくご存知でしょう。20年早く生まれていたら、日本の歴史がどうなっていたか分からない、と言われるほどの大器量の人でした。彼の師匠に虎哉宗乙(こさいそういつ/1530~1611年/美濃出身の臨済宗妙心寺派の僧)という人物がいました。禅師は政宗が梵天丸と呼ばれた幼少期からの師匠で、政宗の人格形成に多大な影響を与えた人物です。
政宗が12、13歳の頃に、奥州は三春の田村家から愛姫(めごひめ)を嫁として迎えることになります。いわゆる政略結婚です。政宗は婿としての心構えを禅師に教えてもらいたかったのですが禅師が妻帯者でないことを思いやり敢えて問わずにいたそんなある日、禅師と政宗が囲炉裏を囲んでの話が次のようにあります。
禅師:「のう若、いよいよ三春の姫が輿入れして参る日が近づいたが、若は奥方の使い方を
知っていような。」
政宗:「はい。知っているような、知らないような」
禅師:「そうであろうな、わしもそれについて何ぞ教えてやりたいが、何分持ったことがないので
教えようがない。」
政宗:「そう思って敢えておたずねしなかったのです。」
禅師:「減らず口を申すな。実はの、わしも女子(おなご)が欲しくて欲しくてたまらぬ時があった。
若いおりにの。」
政宗:「それほど欲しいものを何故おあきらめなされましたのですか?」
禅師:「その事よ、実は欲しいものが他にもあり過ぎた。」
禅師:「学問もしてみたかった。お釈迦さまと相撲もとりたかった。書道もやってみたいし、
絵も描きたい。これを一度に皆寄こせというのは貪欲すぎる。」
禅師:「そこで一つずつ順にもろうてゆこうとしたのでな、女子の方は後廻しになっているのだ。」
政宗:「すると、まだあきらめたのではござりませぬか」
禅師:「なんのなんの欲しいものをそう簡単にあきらめるような腰抜けではない。わしはの、
わしの師匠が怖くなくなった時に日本一の賢い美女を娶る(めとる)つもりだ。」
政宗:「ご老師の師匠と言わっしゃると?」
禅師:「知れたこと、お釈迦さまよ」
私は、齢40にして独り身、志半ば、惑う身であります。普段はこの話を自分が結婚していないことの逃げ口上に利用しておりますが、今回は経営に役立つ言葉として紹介させて頂きました。「戦略」とは、何かを選びそれに集中することであり、また何かを捨てることを意味します。例えば私は今、税務の実務修得に集中し、結婚を捨てています(できないだけという話もありますが)。皆さんも「選択と集中」「拾うものと捨てるもの」を明確にし、限りあるリソース(ヒト、モノ、カネ、あるいは時間など)を有効に活用して成果を上げていただければと思います。
(文責:若月宏之)
今月の言葉(2月)「絆(きずな)」
あと一ヶ月余りで東日本の大震災から1年が経とうとしております。
この大震災以降、絆(きずな)という言葉をよく耳にするようになりました。
昨年の暮れ、世相を示す漢字にも「絆」が選ばれましたが、最近あまり聞くことがありませんでした。この「絆」という字には、絶つことのできない人と人との結びつきという意味があります。
3月11日、私は事務所近くの高津駅にて、ホ-ムから降りた後、駅の天井の電灯が激しく揺れその瞬間、身体が震えその場に立ちすくんでしまいました。その時に改札近くにいた女性が「大丈夫ですか?」と声をかけて下さり、私の手を引いて改札口まで親切に連れて行っていただきました。その時とてもありがたく思いました。
先日の新聞に、“大槌の「おせっかいばあさん」”という見出しで次のような記事が載っていました。
「三食の温かいご飯と布団を、誰にでも。岩手県大槌町で、食料品店の「おばちゃん」が自宅と店舗奥の調理場を解放し、ボランティアや被災した町民らを支え続けている。東日本大震災後、手作りの料理を並べた食卓は毎日、多くの笑顔で囲まれる。『前しかむいてこながったから。みんなの店をつくるのが夢だったの』町の人を元気づけ、町外の人に震災を伝える。
想像を絶する程の被害を受けながらも、ここまで人を支えていくという前向きの“おばさん”に感心し本当に立派だと思いました。
私自身「一体何ができるのだろう?」と考えさせられます。私は被災地に行ってはおりませんが、「遠く離れている自分でも何かできないか!
そういった小さな使命をもつことが「絆」となり、人と人の心がつながっていくものと信じます。「3月11日」を忘れずに、被災者の皆さんに心を寄せて絆を大切に、希望をもって今「ここに生ききる」を実践していきたいと思います。
(文責:掛巣由子)
今月の言葉(1月)「自分が源泉」
明けましておめでとうございます。お陰様で今年も更に新しい春を迎えることができました。心から感謝いたしております。
昨年は、東北大震災、福島原発事故、未曾有の円高、ユーロ危機等が発生し、また今年は3月に中小企業金融円滑化法の期限到来、等々企業を取り巻く環境は一段と厳しさを増しています。
仕事に対する悩みやストレスも溜まる一方です。困難・試練に出合うと、「なんで私だけが?」「だれか助けてくれ!」と被害者意識や依存心が顔を出します。
その気持ちは分かりますが、神頼みや他人に頼ろうとしても、他人のせいにしても、何ら問題の解決にはなりません。「問題は必要な時に、必要な大きさで、必要な人に起きる」ものです。
一見難しい問題でも、必ず解決できるものであり、自分で解決した時には自分の器が一回り大きくなるものです。「問題」に感謝せざるをえません。
江戸の儒学者・佐藤一斉の有名な言葉に『一灯を提げて暗夜をいく。暗夜憂えることなかれ。ただ一灯を頼め』があります。
自らの一灯を頼めということは「結局は自分自身である」、どんな闇夜でも自分自身の灯りで、一歩一歩進んで行けということです。
依存心、依頼心を一切捨て、自らを灯明とし、自らをよりどころとして、禅語の”歩歩是道場”のごとく、ただ一歩一歩休まず継続して精進することがなによりも大切なことです。
順境の時も苦境の時も、ありのままの現実をそのまま受け入れて自分らしく生きていく、そして今日の仕事がどんなに辛くても、今日一日のうちに済ますことが大切です。
今日は今日で「精一杯生きる」。明日になればまた「今日一日だけ一生懸命生きよう」と、毎日毎日続けていくことです。今年も自分が源泉で毎日少しずつ「精進」して素晴らしい人生をお互い生きていきましょう。
(文責:高良高)