中村 義人
公認会計士・税理士
東洋大学 経営学部教授
税理士法人創新會計 社員(役員)
社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
第10回 監査の道
昭和40年の不況は、前回述べた山陽特殊製鋼株式会社の倒産の他に、前年にはサンウェーブ工業、日本特殊鋼などの倒産が起き、さらに証券不況によって山一證券の取り付け騒ぎが発生し、日本銀行が山一證券に無担保融資を行なうという初めての日銀特融により破綻は免れました。
このように混沌とした経済状況において、監査人の責任や役割も益々重要となってきました。当時、監査は個人または個人の共同監査(公認会計士数約2,500)として実施されており、大規模・複雑化する大会社に対して個人による監査は限界にきていました。また、欧米ではパートナーシップによる協同組織化による監査が実施されていました。そのため、昭和40年公認会計士協会は大蔵省の諮問を受け、公認会計士の協同組織化に関しその必要性と検討課題についての報告を公表しました。その一部を要約しますと以下のとおりです。
○被監査会社の企業経営の多角化に伴い、適正な監査を実施するためにはそれぞれ業種部門に精通した公認会計士の協同監査が望ましい。
○個人である公認会計士では、監査の独立性を保つことが容易ではない。
○協同組織体の法形式は、民法上の組合・公益法人などが望ましい。
大蔵省(大蔵大臣福田赳夫)は、昭和41年2月にこれまでの議論を踏まえて、監査法人に関する公認会計士法改正案を作成し、国会に提出しました。改正案は国会での審議を経て同年5月に可決成立し7月に施行されました。こうして、翌年の昭和42年1月17日、監査法人第1号として監査法人太田哲三事務所(現在の新日本有限責任監査法人)が誕生しました。その後、昭和43年5月等松・青木監査法人(現在の有限責任監査法人トーマツ)、昭和44年7月監査法人朝日会計社(現在の有限責任あずさ監査法人)などが設立されました。この時から、わが国の監査は個人によるものから今日の大規模な監査法人による組織的監査へと進展することになりました。