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中村義人教授のひとことゼミナ-ル

中村義人
中村 義人
公認会計士・税理士
放送大学客員教授
東洋大学 非常勤講師
税理士法人創新會計 社員(役員)
社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか― 
第78回 監査の道
今年2017年は、1867年(慶応3年)10月14日の徳川慶喜による大政奉還から150年目にあたり、これにちなんで関係ある市(京都市、鹿児島市、福井市、高知市、長崎市など)において「大政奉還150周年記念プロジェクト」が開催されています。そのひとつとして、大政奉還の日から150年目にあたる今年10月14日土曜日に岡山県高梁市主催の大政奉還に関わった人々の子孫等ゆかりのある関係者、学識経験者によるシンポジウム「大政奉還150周年記念行事『未来志向の大政奉還』」が千代田区の二松学舎大学で開かれました。高梁市は、当時備中松山藩でありその第7代藩主板倉勝静(いたくらかつきよ)は徳川慶喜から厚い信頼を得て、老中首座となり幕政改革に取り組む一方で、大政奉還の実現にも尽力しました。このシンポジウムには、この板倉勝静の子孫板倉重徳氏が参加しました。また、備中松山藩の元締役・吟味役として藩財政を立て直し、板倉勝静を支えた儒学者山田方谷(やまだほうこく)の直系子孫野島透氏も参加しています。そして、山田方谷の弟子である三島中洲は二松学舎大学の創設者であるという縁のもとに本大学でシンポジウムが開かれることになったわけです。
また、本シンポジウムには、第15代将軍徳川慶喜曾孫水戸徳川家当主、徳川斉正氏と徳川宗家第19代当主、徳川記念財団理事徳川家広氏が参加するという大変貴重なものとなりました。かなり前からこの情報を得て申し込みシンポジウムを拝聴することができました。今回は、このシンポジウムからの話しを書いてみます。

さて、徳川慶喜は二条城で10万石以上の大名を集め大政奉還を審議し、決断し、大政奉還上表文を朝廷に提出しました。朝廷に提出した上表文では「従来之旧習ヲ改メ、政権ヲ朝廷ニ奉帰、広ク天下之公儀ヲ尽シ、聖断ヲ仰キ、同心協力、共ニ皇国ヲ保護仕候得ハ、必ス海外万国ト可並立候」とすなわち「この際従来の旧習を改めて、政権を朝廷に返し、皆が心を一つにして協力して、国を守っていけば、必ずや海外万国と並び立つことが出来ると存じ上げる。」と慶喜はその決意は述べています。なぜ慶喜は、徳川の支配を止めたのか、翌年布告された五箇条の御誓文の一番目にある「広く会議を興し、万機公論に決すべし」などの改革は慶喜自身でも行うことができたはずです。この点について徳川斉正氏は、慶喜の次の言葉を紹介しました。「予が政権奉還の志を有せしは、実にこの頃よりの事にて、東照公は日本国のために幕府を開きて将軍職に就かれたるが、予は日本国のために幕府を葬るの任に当たるべしと覚悟を定めたなり。」また、水戸徳川家は家訓として尊皇精神の訓えがあり、2代藩主徳川光圀の次の言葉も紹介されました。「我が主君は天子也。今将軍は我が宗室也。宗室とは親類頭也、あしく料簡仕、取違へ申まじき。」従って、慶喜が鳥羽伏見の戦いの途中で勝利の可能性があったにも関わらず、江戸に逃げ帰った動機としては、江戸城でフランス公使レオン・ロッシュから再挙を勧められても「天子に向かひて弓ひくことはあるべからず」として固辞し、これ以上英国の援助する薩長軍と戦うことは英仏による日本分断の恐れをも考えたことにある、との話しがありました。

司馬遼太郎が慶喜について書いた「最後の将軍」において、水戸家に黄門以来の秘密の言い伝えがあり、それは「もし江戸の徳川家と京の朝廷のあいだに弓矢のことがあればいさぎよく弓矢を捨て、京を奉ぜよ」ということであり、これは噂ではなく後年慶喜が話していたと書かれています。今回、この事実を慶喜の曾孫徳川斉正氏から聞くことができたわけです。

また、徳川斉正氏は慶喜が幕府を投げ出したのは、幕府の財政が逼迫してこれ以上維持することができなくなったのが原因であると話されました。この理由は余り聞いたことがなかったので意外でしたが、次の坂本龍馬の言葉を思い出し納得しました。龍馬が後藤象二郎の命令により、福井藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく)と面会するために福井に出向いた時、春嶽の部下の三岡八郎(福井藩の財政を立て直した後の由利公正)が幕府勘定局の帳面を調べたところ、幕府の財政は窮乏していることが分かり、そのことを三岡から聞き、天下の事を知る時は会計が最も大事であるとして、明治政府の財政担当に会計に詳しい三岡を採用することを要請していました。

(参考資料) 「水戸徳川家を貫くもの ―明治維新150年に思う―」 徳川斉正 2017年 他
       「最後の将軍」 司馬遼太郎 文春文庫 1997年  


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