中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第113回 監査の道

 第一次世界大戦後(大正7年~)、日本の企業は市場独占化と設備投資の拡大に走りました。それは、製鉄、造船、石炭、繊維などの産業に見られます。また、企業の生産性をあげるための近代的な管理制度も普及してきました。その例がテイラーの管理方法であり、多くの企業で能率増進運動が行なわれました。特に、当時の輸出産業である紡績業では科学的管理法が全面的に取り入れられ、コスト低減のために、男工から女工への切り替えと労働強化による合理化が進められました。代表的な紡績会社である倉敷紡績は、科学的管理法を具体的に次のように実践しました。

〇 本店各課が各工場を管理し、機能的に指示を与えられるような組織にした。
〇 従業員の教育として、同心協力精神と共存共栄精神を徹底した。
〇 標準工場経費、職員・職工の定員化、標準機械回転数、原綿使用標準数、作業・動作標準、標準電力使用量などを設定し工場稼動の能率化を測定・推進した。
〇 精密な製品単位当り原価計算を導入しコスト分析を実施した。 その他。

 これらの施策は、今日の経営管理と比べてもその目的や方法が変わらないのは、驚くべきことです。
 ちょうどこの頃、紡績工場の実態が書かれた「女工哀史」(細井和喜蔵、ほそいわきぞう、明治30年~大正15年)が、大正15年改造社から発行されました。教科書にも載っている有名な書物で、大正時代後期の紡績女工の労働条件や生活状態が記録されています。細井は、上京してから東京モスリンの亀戸工場で働いて、自分の経験と聞き伝えで、この本を書いたのですが、紡績工場は長時間労働が強いられ、一日12~14時間のきついものでした。大正5年に、工場労働者の就業と業務上の傷病死亡に対する保護制度を取り決めた工場法においても、なお11~12 時間でした。なお、モスリンとは、最近はあまりなじみのない言葉になりましたが、ウールや綿で織られた薄手の平織り生地を指し、明治後期には日本の毛織物生産の中心となり、原糸生産から一貫した工場生産が可能となったので輸出も盛んに行なわれました。

 この本を久しぶりに眺めてみると、なんとテイラーの管理方法が触れられていました。 紡績工場の作業システムに「標準動作」というものがあり、これはテイラーの管理方法に端を発するもので、米国のレンガ工のレンガ積み方法を工夫したら一日に何千枚も多く積み得たというようなことを紡績工場に応用したものであり、第一に鐘紡が始め、続いて東洋紡績が真似て広く行われるようになったと書かれています。
 下図は、本書における織布((しょくふ)部における力織機(りきしょっき)(英国の産業革命により動力による力織機が発明された。)を4台受け持つ女工の標準動作を表したものです。番号順に動作が示されています。その番号には、()換え、管換え、織前調べ、経糸(たていと)手入などの動作が紐づけられており、一つも無駄のない動作が決められています。また、各機械の注油にまで、詳細な標準動作が決められていました。()(シャトル)とは、経糸の間に緯糸(よこいと)を通すのに使われる糸を巻いた道具で、当時はこの杼を取り換える作業が必要でした。しかし、この作業も大正13年、豊田佐吉によって発明、完成した無停止杼換式豊田自動織機の普及が進むにつれてその必要もなくなっていきました。最近、中島みゆきの「糸」がヒットして、結婚式などで盛んに歌われていますが、その歌詞に「縦の糸はあなた横の糸は私、織りなす布はいつか誰かを、暖めうるかもしれない。」とあり、大変素晴らしい表現ですが、当時の織工はどのように思われていたのでしょうか。本書の巻末に女工小唄が載っており、その一部ですが「糸は切れ役わしゃつなぎ役、そばの部長さん睨み役。主とわたしはリングの糸よ、つなぎやすいが切れやすい。」などがありました。


 なお、細井が働いていた東京モスリン亀戸工場は、市電柳島(現在の墨田区・江東区に(またが)る)の終点を降りて、水草一つ目高(めだか)一匹も浮かばぬ泥川べりを歩いて、橋畔にある工場で、あたり一帯は砂塵と煤煙で濛々(もうもう)として自然の跡形を見せぬ荒地にある、と述べているのに比べ、鐘紡の兵庫工場(かつては国鉄鐘紡前駅があり隆盛を誇った工場であったが、昭和20年の神戸大空襲で壊滅的な罹災をし、閉鎖された。現在は、神戸市の御崎公園になっており、サッカースタジアムもできた。)を訪れた際の感想が次のように書かれているのは、興味深い。
「工場の敷地内が鬱蒼たる森林のごとくあって、樹陰(じゅいん)にベンチを据えたり、休憩のたびに・・・寝たり転んだり起きたり、自由気ままにして疲労を快復せしめるようにしている工場は、さすが斯界の大立者たる鐘紡にのみ見ることができる。こんなのは、至極賛成だ。」
経営者の明確なビジョンと財力のある大会社は、当時からこのような環境を用意できたのでしょう。


(参考資料)
「日本資本主義経営史」 野口祐  御茶ノ水書房  1960
「女工哀史」  細井和喜蔵  岩波文庫  1954 
「カネボウの興亡」 武藤治太・松田尚士  國民會舘  2010




 

女工哀史


  東京モスリン吾妻工場
国立国会図書館デジタルコレクションより

  • 中村 義人
    元放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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