中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第107回 監査の道

 中国の古典に「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たざるなり。往きて見るを得べからざる者は親なり。(樹欲靜而風不止,子欲養而親不待也。往而不可得見者、親也。)」 (韓詩外傳 巻9 )とあります。これは、木は静かにしたいと思っても風を止めることが出来ない、どうすることも出来ないように親孝行しようと思っても親は待ってくれず、あの世に行ってしまえば二度と会えないということです。私の父は戦時中、兵隊として満州に行っていましたので、時々当時の話しをしていたことが記憶にあります。しかし、今満鉄などの本を読んでいるとき、実際にその地で見て、暮らした様子を聞いてみたい衝動があります。しかし、既に時遅しです。いつ頃、どこに、何をしていたか、どのように帰還したかなど聞きたいことは山ほどありましたが。

 さて、漱石の満州紀行文に戻りますと、漱石は旅の終わりに満州の撫順を訪れた時のことが書かれています。
()(じゅん)は石炭の出る所である。そこの(こう)(ちょう)を松田さんと云って、橋本が満洲に来る時、船中で知己(ちかづき)になったとかで、その折の勧誘通り明日行くと云う電報を打った。・・・炭坑の事務室に行って、二階で松田さんに逢った。松田さんが案内になって表へ出た。貯水池の土堤(どて)へ上ると、市街が一目に見える。まだ完全にはでき上っていないけれども、ことごとく煉瓦作りである上に、スチュジオにでも載りそうな建築ばかりなので、全く日本人の経営したものとは思われない。しかもその洒落(しゃれ)た家がほとんど一軒ごとに(おもむき)を異にして、十軒十色(といろ)とも云うべき風に変化しているには驚いた。その中には教会がある、劇場がある、病院がある、学校がある、坑員の邸宅は無論あったが、いずれも東京の山の手へでも持って来て眺めたいものばかりであった。松田さんに聞いたら皆日本の技師の(こしら)えたものだと云われた。」当時の撫順の建物写真(下記掲載)を見ると確かに立派な西洋館です。

 大連には、市内の高台に旧日本人街があります。そこを訪れると大きくなった街路樹に立派な邸宅が並んでいます。そこには大連の市民が住んでいるのですが、元は日本人が住んでいました。田園調布のような立派な街並みを見ると、当時の都市計画が整然行われ、しかも現在もその場所が高級住宅街として使われていることに大変驚いた記憶があります。

 日経新聞によると、大連市郊外に、京都の街並みを再現した複合商業施設が建設中とのことです。地元の不動産会社樹源科技集団が日本人建築家らと組み、敷地面積約110万平方メートル、投資額約1千億円をかけて3期に分けて開発し、第1期の一部が今年開業する予定です。日本人建築家が設計した温泉付き別荘は既に販売しているそうです。大連は日系企業が数多く進出し(大連経済技術開発区約1800社)、今でも日本との関わりが深く、日本まで行かなくても、京都の街を味わえそうです。

(参考資料)
「韓詩外傳」 韓嬰 (かんえい 紀元前180年 -紀元前120年)著 全10巻 詩経に関連した故事、伝承などを記述した書。中國哲學書電子化計劃より
「満韓ところどころ」 夏目漱石 大正10 青空文庫 Kindle 版




 

撫順炭鉱宿舎
集中暖房システムが採用されていた。
(「図説満鉄:満洲の巨人」河出書房新社より)


  大連高級住宅地(旧日本人居住地)
中山区旅游地区

  • 中村 義人
    元放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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