中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第105回 監査の道

 満鉄の事業は拡大していきましたが、その間次のような不正事件が発生しました。事の発端は大正8年4月の首脳部の人事異動でした。これまでの理事長制が廃止され、社長制が新たに採用されました。この社長に野村竜太郎(鉄道庁技師、大正2年満鉄総裁)、副社長に中西清一が送り込まれたわけですが、この人事が政友会(初代総裁伊藤博文)人事といわれました。中西副社長は、鉄道院の官僚で原内閣において逓信次官に抜擢され、その後満鉄入りし、経営の実権を握るようになった人物です。中西副社長は、就任後直ぐ搭連(とうれん)炭鉱を買収し、また内田汽船から船舶を買い取りました。搭連炭鉱は中国人と日本人が経営をしていましたが、満鉄が所有していた撫順(ぶじゅん)炭鉱(撫順市)と地続きの小規模な炭鉱で利益は少ないとして買収しなかったのですが、同炭鉱の日本側経営者の東洋炭鉱にこの年の総選挙に政友会から立候補した森恪(もり かく)(三井物産天津支店長などを務めた後、大正9年政友会より衆議院議員に当選、昭和2年外務政務次官、昭和4年政友会幹事長など務めた。)が専務取締役を務め、満鉄に売り込みを図ったところ、220万円という価格で買い取ることになりました。
 この炭鉱は、当初2万円でも満鉄が買収しなかったことが分かり、また満鉄の技師が調べたところ70万円が相当ということが分かりました。一般炭鉱はわが国最上の炭鉱でも坪当り1円を超えておらず、また英国の「カーディフ炭鉱」も一坪4.5円を超えていないにもかかわらず、塔連炭鉱を満鉄が買収した価格は16万坪220万円すなわち坪当り14円になり世界最高の驚くべき価格であるとされました。そして、買収金のうち30万円が先に支払われ、これが森と政友会の選挙資金にあてられたとの疑惑がもたれました。さらに満鉄の子会社の大連汽船が三菱造船所との契約(6500トン)を解除し違約金27万6千円を支払い、政友会と関係の深い内田汽船から 2、30万円の価値の船舶「満洲丸(8500トン)」を276万円で買ったことも問題化されました。

 この事件が公になったのは、大阪毎日新聞が報道した元満鉄職員の手記でした。大正10年1月31日の衆議院予算委員会において、野党憲政会が満州鉄道の炭鉱・汽船買収問題を取り上げ、政府を追及したことから大きな社会問題となりました。そして、同年6月18日に開かれた株主総会において塔連炭坑買収の経路、価額算定の基準及び買収権利の内容など他について株主から質問が投げかけられましたが、会社側は適正なものであったとの答弁をして会社の営業報告書や配当案が大多数の株主の承認により可決されました。しかし、この問題は検察の手に委ねられることになり、また満鉄の内部からも不満が沸き上がり、山田潤二興業部庶務課長らは野村社長と中西副社長に疑惑を直言しましたが、受け入れてもらえず、職を辞して検事に内部証拠を提出することになりました。そして、同年3月7日にこの証拠に基づき検事から告訴状が提出され、中西副社長は逮捕され、第一審では懲役10ヵ月の有罪となりましたが、第二審では証拠不十分として無罪となりました。


(参考資料) 
「満鉄」  原田勝正  岩波新書  1981
「満鉄総会激論 結局多数にて承認」 東京朝日新聞 大正10.6.20
「手酷く醜状を素破抜いた満鉄事件の告訴状」 国民新聞 大正10.3.13




 

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  • 中村 義人
    放送大学非常勤講師
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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