中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第95回 監査の道

 この日糖事件は、当時の人々にとって大変な事件として驚かれ、社会に大きな影響を与えました。それは、夏目漱石の小説「それから」においても、大きな事件として取り上げられていることからも分かります。「それから」は、明治42年6月27日から10月14日まで、東京朝日新聞・大阪朝日新聞に連載されました。日糖事件について新聞等で取り上げられたのは明治41年から42年にかけてのことですから、漱石が明治40年4月に教職を辞し、朝日新聞社に入社し職業作家としての道を歩み始め、明治42年には養父から金を無心され苦労していた時期であり、そのようなときに日糖事件のような経済事件は漱石の心に大きな衝撃を与えたものと思われます。漱石は、生まれて直ぐ塩原昌之助という養父に引き取られ、9歳の時に実家に戻りましたが、実父と養父の確執もあって21歳の時にやっと夏目家に復籍できました。
 落ちぶれた養父が漱石の前に現れ、金を無心することになった経緯は大正4年に発表された最後の小説「道草」に書かれています。そこでは大学に勤めている主人公健三が、絶縁した元養父の島田から金をせびられて、最後に苦しい家計の中から百円を支払うことになります。そのとき健三の細君が言います。「まあ好かった。あの人だけはこれで片が付いて」細君は安心したといわぬばかりの表情を見せましたが、そこに健三が吐き出すように言います。「世の中に片付くなんてものは殆(ほとん)どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ。」
 さて、小説「それから」は、30歳にもなっても定職を持たず、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮している主人公代助が、かつて愛していた親友平岡の妻三千代との再会により、一緒になりたい旨を伝え、恵まれた生活や家族を捨て愛する人妻を選び、世間の批判を覚悟し、仕事をさがして町に飛び出す、という筋書きです。親友の平岡は、大学卒業後銀行に就職しますが、部下による公金の使い込みが支店長に及ぶのを避けるため、自ら返済のために借金をして銀行を辞め、その後家計を顧みることなく遊びにうつつを抜かしている中、三千代が代助に500円の借金を頼みに来ます。代助は、自分がそれまで金には不自由しない身だと信じていたが、愛する女性が恥を忍んで頭を下げるのにすぐに用立ててやれない不甲斐ない自分に気が付き、職を見つけ人生をやり直そうとします。ここで小説は終わり”それから”は分かりません。  代助は、平岡と酒をのみながら何故働かないと質問され、次のように答えています。「何故働かないつて、そりや僕が悪いんじゃない。つまり世の仲が悪いのだ。もっと、大袈裟にいうと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本ほど借金を拵(こし)らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。さうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国丈の間口を張っちまった。‥‥日本国中どこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何といったって、何をしたって、仕様がないさ。・・・」これは、代助をして漱石の当時の社会に対する気持ちを表しているものでしょう。

 このような中、日糖事件が起き新聞に載ります。代助は、この事件について次のような感想を述べています。「その明日(あくるひ)の新聞に始めて日糖事件なるものがあらわれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云う報知である。門野(代助の書生)は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ痛快だと評していたが、代助にはそれ程痛快にも思えなかった。が、二、三日するうちに取り調べを受けるものの数が大分多くなって来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃(はや)し立てるようになった。・・・・代助は自分の父と兄の関係している会社については何事も知らなかった。けれども、いつどんな事が起るまいものでもないとは常から考えていた。そうして、父も兄もあらゆる点に於いて神聖であるとは信じていなかった。もし、やかましい吟味をされたなら、両方とも拘引に価(あたい)する資格が出来はしまいかとまで疑っていた。それ程でなくっても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕だけで、誰が見てももっともと認めるように、作り上げられたとは肯(うけが)わなかった。・・・・代助はこう云う考えで、新聞記事に対しては別に驚きもしなかった。父と兄の会社についても心配をするほど正直ではなかった。ただ三千代の事だけが多少気に掛った。」漱石は、日糖事件を通して権力者や資産家に対する批判的な見解を述べたものと思えます。


(参考資料)
「それから」 夏目漱石 岩波文庫 1938年 
「道草」   夏目漱石 青空文庫 1915年 



 

夏目漱石 1867年~1916年
  映画「それから」東映1985年
YouTubeより


  • 中村 義人
    放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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