中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第103回 監査の道

 明治39年、南満洲鉄道設立の勅令によって児玉源太郎(長州藩、陸軍大将)が同年7月13日に設立委員長に任命され、その定款(資本金2億円)や経営の方針などが作成されました。しかし、児玉は同月23日自宅において脳溢血のため急死してしまいました。そのため、業務を引き継いだのは陸軍大臣寺内正毅(まさたけ、長州藩)でした。資本金2億円のうち、1億円は政府出資とし、残りの株式募集は9月10日にまず10万株(総額2000万円)の募集を決め、役員持ち株1000株を除く9万9000株で公募しました。当初、応募は少ないと見込んでいましたが、それに反して申し込み総数は1億664万株を超えることになり、1000倍を越える大変な高倍率で、満鉄株ブームとなりました。これは、日露戦争後明治39年末から株式相場が上がり始め、低金利と金融緩和で明治40年初めにかけて熱狂相場となったことと、国民が満鉄の植民地経営を期待していたことなどの現れと思われます。また、この時期まで東京株式取引所(戦後の東京証券取引所)では、民間鉄道株ブームがあったと記録されていますが、この年の3月に鉄道国有法が公布され、17の民間鉄道会社が国有化されることになり、鉄道会社への投資の機会が少なくなったことなどもの影響もあったのではと推察できます。資本金2億円の半分の残りは、欧米に於いて社債を発行して全額調達することができました。

 さらに、このような時に野村証券の創業者野村徳七から家督を譲り受けた長男信之助は、明治40年の過熱相場が終わるとみて、大量のカラウリにより巨額の利益を得て「野村商店」の財政を強固にして、2代目徳七を襲名した頃でもありました。
なお、この公募時の大口個人株主の申し込み株数と割当株数は以下が記録されています。

 
申込株数 割当株数 
大倉喜八郎(大倉財閥の設立者) 99,000 91
古川虎之介(古河財閥3代目当主) 50,000 46
岩崎久弥(三菱財閥3代目当主、 岩崎弥太郎の長男)  20,000 18
渋沢栄一
 5,000 4

 この株式募集においては、清国政府は応募してきませんでした。日本政府は、満鉄の設立や株式募集について清国政府に一方的な説明をしただけでした。したがって、清国政府は、満鉄の設立を日清条約等(満鉄の前身である東清鉄道は両国で管理する)に違反しているとし、日本政府に抗議しました。しかし、日本政府が一方的に設立を進めてしまいました。そして、11月26日に創立総会が開かれ、政府現物出資50万株、総額1億円(ロシアからの鉄道資産を出資)などの調査報告と総裁後藤新平が報告されました。

(参考資料) 「図説満鉄:満洲の巨人」  西澤泰彦  河出書房新社  2015
「満鉄」  原田勝正  岩波新書  1981
「日本経済の心臓 証券市場誕生」  日本取引所グループ   2017



 

満鉄500円株券

  満鉄東京支店 港区虎ノ門
「図説満鉄満洲の巨人」より

  • 中村 義人
    放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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