中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第96回 監査の道

 漱石の小説「それから」には、日糖事件は英国大使が関係しているようなことが書かれています。すなわち「ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。その説明には、英国大使が日糖株を買い込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあった。」この件について当時の新聞で確かめますと、日糖事件の時、英国大使をしていたマクドナルド(Sir Claude Maxwell MacDonald 明治38年~明治45年駐日イギリス大使)は、池田成彬(いけだ しげあき 三井銀行役員 後、日本銀行総裁、近衛内閣蔵相兼商工相)を財政顧問として財産の運用をしており、その中に日糖の社債がありました。そのため日糖の社債に不払の危険が生じると思ったマクドナルドは、池田がもし不払になれば私が引受けるとまで言ってもらったが、まだ気になり、首相の桂(桂太郎 かつら たろう、弘化4年~大正2年、長州藩士、陸軍大将)に手紙を送りました。その手紙の内容は、社債権者に損害を及ぼすような会社の重役は英国では刑罰を受けるが日本は何もされないのか、という訴えでした。この手紙に桂は驚いて司法省に命じて、日糖の内情を調査させ司法官の活動となった、と書かれています。(時事新報 1931.7.14-1931.7.19 昭和6「英大使と池田成彬」神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

 また、大正2年の新聞には、日糖事件を受けて公設の監査所を設置する声が上がっていると書かれています。「公設監査所」とは聞きなれない言葉ですが、日糖事件などの発生によりこれまでの監査役などの監査機関は信ずることができないので、どのように個人の投資資産を擁護するかを研究した結果、一案として英国等において行われている公設監査所を設置してはどうか、ということです。この制度は、株主の一人が会社の資産状態について不審を抱く場合、同監査所に依嘱して調査をし、その結果株主の申請通り問題があれば、審査費用は会社において負担し、そうでなかった場合は株主がその費用を負担する方法である、としています。(中外商業新報 1913.7.5 大正2 上掲文庫)
 しかし、この方式は受け入れられませんでした。この制度は帝国議会でも議論として取り上げられ(衆議院「商事会社に関する法律案委員会議録」明治42年3月11日)、会社法改正案提出者である高木益太郎衆議院議員(弁護士)は、委員会での法案説明で、「公設監査所というものをわが国でも設けてはどうかという意見があるが、日本ではこのような制度が実行されるであろうか、また、会社もそのような検査を受けるであろうか。」などの疑問があるのでもう少し慎重に研究をすることが必要であると述べ、採用されませんでした。

 当時監査役制度の改革の議論として2つの考えがありました。1つは、監査役は株主から選ばれるようになっていた(明治32年商法189条、164条「取締役ハ株主總會ニ於テ株主中ヨリ之ヲ選任ス」準用)ので、株主以外からも有能な者を選べるようにすべき、もう1つは、公認の会計専門家(公許会計士制度)を設けて、会社の計算書類を審査させる、というものでした。しかし、日糖事件の後明治44年の商法改正では、上記2つとも採用されることはなく、監査役の任期を1年から2年に伸ばしただけでした(明治44年改正商法180条「監査役ノ任期ハ二年ヲ超ユルコトヲ得ス」)。そして、前者は昭和13年の商法改正時に実現しましたが、後者は戦後になって実現しました。

(参考資料)
「戦前の会計監査」 商学討究第56巻第1号 小樽商科大学 渡辺和夫
「近代会計百年」  監査役制度の過去と将来 久保田 日本会計研究学会 1983年


 

英国大使 マクドナルド
ウィキペディアより
  商法中改正 御署名箇所 明治44年
国立公文書館デジタルアーカイブより


  • 中村 義人
    放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

バックナンバーはこちら