中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第87回 監査の道

明治政府は財政的基盤を強化するため、地租改正を推し進めていきましたが、さらに重要な政策として、金融制度の改革があげられます。

 日本は明治初期まで、金と銀との複本位制(このため江戸の一両小判を大坂の丁銀などに替えるための商人が現れ、「両替」という言葉が生まれた。)をとっており、明治維新時には旧幕府発行の貨幣、藩札、政府発行の太政官札など複数の通貨が混在していました。
そこでまず、政府はこれまでの金(両)・銀(貫・匁)・銭(文)の3貨制度を改め、明治4年(1871年)に「新貨条例」を布告して、圓(円)・銭・厘の単位を用いる通貨制度を採用しました。1円=100銭、1銭=10厘とする10進法が採用されました。
さらに、近代的な銀行制度を導入するため、欧米各国の通貨に関する法律・規則を研究し、アメリカ の1864年に制定された国法銀行法によるナショナル・バンク制度を見倣って明治5年に「国立銀行条例」を制定しました。この国立銀行は銀行券の発行を認められた株式会社組織の銀行であり、国立銀行の設立が進めば、その発券の仕組みから当時流通していた藩札や太政官札などの政府不換紙幣は次第に兌換銀行券に代わり、統一された兌換制度の確立を計画したものでありました。
 なお、「国立銀行」という名称を使っていますが、その理由は、アメリカ のナショナル・バンクの訳語として使われたもので「国の法律に従って設立された」という意味で、経営は民間によって行われたものでした。この条例により、渋沢栄一が明治6年(1873年)に日本初の国立銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)を設立し、その後も民間によって数多くの国立銀行が設立されました。

 この国立銀行の組織は、5人以上の株主による株式会社の形式をとり、株式の額面は1株100円とし、株主は所有株式数相当の権利を有し、頭取・取締役を選任し、銀行創立証書・定款を作成するものでした。まだ、監査役の名前は見られません。ただし、頭取・取締役の他に支配人、出納方、計算方、簿記方などの職員や役員を設置することが認められていますので、内部監査などの担当も決めていたかもしれません。
銀行券の発行に関しては、資本金の6割の政府紙幣を大蔵省に納入し、交付された公債証書を再び大蔵省に預け入れし、これを抵当として同額の銀行券の発行をする、というものでした。その業務は、為替、両替、荷為替、預金、貸付、証券、貨幣地金の取引などでした。

 また、国立銀行条例には国立銀行が提出する報告書や計算書の手続も明らかにされており、年に4度銀行の事務計算等の報告諸表を紙幣頭(当時、大蔵省紙幣司⦅現、国立印刷局⦆が国立銀行の管理をしており、初代紙幣頭は渋沢栄一⦅明治5年1月~7月⦆であった。)に提出することとされています。また、報告諸表には銀行簿記計表報告書等が含まれ、「国立銀行ノ諸簿冊計表其他ノ諸計算書類ハ極メテ精確ニ記載シ且簡明ヲ要ス可シ。」と規定されていました。

(参考資料) 「日本銀行百年史(第1巻)」 日本銀行百年史編纂委員会編  1982~86年 
       「概説日本経済史 近現代」三和良一 東京大学出版会   2005年  




 

「国立銀行条例」出版者: 中外堂
明治10年 国立国会図書館デジタル
コレクションより
  「銀行発祥の地」のプレート
みずほ銀行兜町支店にて

  • 中村 義人
    放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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