中村義人の一言ゼミナール

社会人のための監査論 ―会計監査はどのように役立つか―
 第85回 監査の道

明治6年の地租改正により、明治政府の財政的基盤は少しずつ強化されていきました。地租は法定化された土地の価格に一定の率をかけた税額3%が決められました。その徴収の仕方は、市町村長である戸長が税金を徴収して大蔵省に収めていました。従って、現在の税務署のような組織はまだなく、府県に設置された出張所(収税署)がその徴収事務を扱っていました。そして、明治29年になって大蔵省の下に今日の税務署が設置されることになりました。
明治29年の租税収入の割合は次のようになっており、地租が半数を占め、次に酒税が占めています。なお酒税割合は、昭和10年20.8%、戦後20年には10.8%となり現在は3%台までに低下しています。

明治29年の租税収入の割合(税務大学校租税資料より)

酒税は、既に江戸幕府により酒造統制のために、酒株制度(醸造業の免許制)を導入して、造り酒屋に対して酒運上(さけうんじょう)と称される運上金(租税)を課していました。明治政府はこの制度を引継ぎ、免許税、醸造税などとして徴収することにしていました。そして、明治29年に酒造税法が成立し、今日のような酒の種類によって課税する税制ができました。また、明治32年には、自家用酒の製造が全面的に禁止され、酒税の徴収と密造酒の取り締まりは税務署の最も重要な仕事のひとつとなりました。密造が違法であることの周知が徹底した明治末期から大正期には本格的な取り締りが始まり、東北6県で1年間に4千から5千件の検挙数に上りました。

この密造酒の取り締まりに大活躍する税務署長を描いた宮沢賢治の短編の作品があります(大正12年)。おおよその話しは以下のとおりです。
村に赴任してきた税務署長が村人を集めて、酒の密造は禁止されている、酒を作るなら税金を払って正々堂々と作りなさいと講演しました。しかし、署長は何か村人の様子がおかしいと思い、翌日署員を使って村の酒類密造を暴きに行かせましたが、密造現場を発見できませんでした。そこで署長は自ら変装して出かけ、村の小売酒屋へ入り、密造のことを聞き出し、その現場を確かめましたが、村人に捕まえられてしまい署長であることがばれ、部屋に監禁されてしまいました。しかし、数日後警察官が駆けつけ密造の関係者らを捕まえ、無事解決したという話しです。今日のコンプライアンスを宮沢賢治が小説の題材として取り上げたものと言えるでしょう。

(参考資料)
「税務署の創設と税務行政の100年」 税務大学校研究部 大蔵財務協会 1996年



 

「税務署長の冒険」宮沢賢治
税務大学校租税史料
ライブラリーより
  税務署長辞令明治29年
税務大学校租税史料
ライブラリーより

  • 中村 義人
    放送大学客員教授
    元東洋大学教授
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 役員

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