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論語と経営(14)

君子(くんし)(おも)からざれば(すなわ)()あらず。(がく)も則ち(かた)からず、忠信(ちゅうしんく)(しゅ)とし、(おのれ)()かざる者を友とするなかれ。過って則ち(あらた)むるに(はばか)ることなかれ。』
(現代訳:人の上に立つ者は言語動作が重々しくどっしりしていないと、威厳がない。学問をしっかりすれば、頑迷さを免れることができる。常に忠信を失わないようにし、自分に及ばない者と交わって偉がるようなことがあってはいけない。過ちがあったならば体面などを考えないで直ちに改めるがよい)

この言葉は人の上に立つ者、すなわちリーダーの心得を述べたものです。組織は人によって成り立ち、またリーダーの優劣が組織の成否となりうるものです。リーダーは組織を束ねる長としてどっしりと構えて、現状を冷静に見つめ、あるべき未来に向かって、誠実かつ情熱をもって働きかけなければ人は動きません。リーダーは威厳がなければ、頼れる人物として人はついてこないのです。そのためには常に態度が重厚でなければなりません。場をわきまえ、軽挙妄動は厳に慎まなければなりません。最近の政治家の言動は見るに聞くにたえない軽挙な言動が頻繁に起きています。これらはすべからく德すなわち威がないからです。

徳の完成した姿すなわち「威」とは、木鶏に似ていると故事(荘子)にあります。

―あるとき王様は、闘鶏の名人に一羽の鶏の訓練を命じた。
10日経って王様が「そろそろ使えるか」と名人にたずねた。虚勢をはって力を誇示しているから「まだ」とこたえた。また王様は10日経ってまたたずねた。名人は、相手の鳴き声を聞いたり気配を感じたりしただけですぐにいきり立つから「まだ」とこたえた。また10日経ってたずねた。相手を見るととたんに目をいからせて睨みつけるから「まだ」とこたえた。さらに10日経ってたずねた。相手が鳴いて挑んできても動ずる気配がなく、見たところ木彫りの鶏のようで、徳が体中に満ちているから「もう大丈夫」だと名人はこたえた。
相手はその姿を見ただけで、これはかなわんと尻尾を巻いて退散していくというのである。―

内には徳が充満し、それが無言の抑止力すなわち威厳となって相手を圧倒するからでしょう。リーダー像として完璧な姿です。昭和の名横綱双葉山が、69連勝で敗れた時、尊敬する先輩にあてて、「ワレイマダ モッケイタリエズ」と電報を打ったといわれています。

木鶏の喩えのごとく謹んで学問に志し、日々自分を鍛錬し、事に当たるに誠実にして素直に御し、また優れたる人物と交わってその徳たるや人格を吸収するに勤めていくことが自己への成長となって、リーダーとしての「威」を備えていくことができるものと信じます。

  • 高良 明
    創新グル-プ代表
    公認会計士 税理士
    税理士法人創新會計 代表社員

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